ego~エゴ~
「りんごは、エゴで生きてる」だったかな。
そんなことを、尊敬していた先生に言われたことがあります。
その時、「え~~~~~~~」と衝撃をうけ、混乱。その他にも、いろんな話をする中で、「あ~~~、私って浅い・・・ダメだ・・・このままでは、なにもできない」とどん底気分に。
人から受ける言葉で、生きもするが死にもするな~と今は冷静に思いますが、そんなことすらわからないほど、混乱した記憶があります。
いろいろと迷っていた時期でもあったので、より混乱し、いままで提供していたものが自分はやっていけないレベルなんだと思い、やっていた仕事を続けていいものかどうかと悩んだものです。
「エゴで生きてる」っていう言葉をたまに思い出すことがあって、最近もまた思い出したのだけど、この言葉を言われた意味がやっとわかったのです。
当時、ガーーーーーーーンとなりながらも、「エゴってなに?いい言葉じゃないんだけど・・・なに?どういうこと?」と思い、ググりまくりました。
それほどエゴで生きてる感覚がなかったのだと思います。
だけど、今思えば、エゴだったと納得できます。
プライベートも仕事のような生活だったので、仕事面の話になってしまいますが、自分の好奇心からうまれる探求や承認されるための頑張りが多かったんじゃないかなと。
「私の生き様が、誰かの灯火になりますように」と願っていたあの頃。
(この考えを持っている人はいます。ですが、この考えをもっている全ての人がエゴで生きているわけじゃないと思う)
自分の満足のためだけに頑張っていたのかもしれないな~なんて思います。
自分が目立つためとかね。
自分が世の中ですごい人だと思われたい!とかね。
じゃ~今は?というと、有名になる必要があるならなる。本を出す必要があるなら出す。目立つ必要があるなら目立つ。必要がないなら目立つようなことはいらない。
それよりも、目の前にきた人に必要なことを伝えられる自分でいたい。
講師や先生というような立場になっていくと自覚しています。
自分が目立つのではなく、相手がよくなるように精進していきたいな。
その反面、プライベートは、自由でいいと思うんだけど^^
やりたいかやりたくないか
も大切だけど、
必要か必要じゃなか
も大切。
やりたいことを仕事にしよう!
好きなことで仕事をしよう!
そんな風に生きようとしていたけれど、その生き方は私にはちょっと合わなかったのかもしれないな~。
それよりも、目の前の人のの背中を押せるような自分でありたい^^
(まぁ、誰かの背中をおせる自分でいたいから、すごい自分にならないといけないっておもってたんだと思うんだけどね~~~~!!!)
見破られるのが怖かった
いろんな人と話をするのが面白いと感じる今日この頃。
自分と違うスタンスで生きていたモテる女性といると面白いほどに学びがあります。
で、過去の自分のしくじりだな~と思うポイントのひとつが、「見破られるのが怖かった」という心理をもっていたこと。
今は、誰しも「面倒くさい部分」「優しい部分」「汚い部分」「天使みたいな部分」をもっているという大前提で生きれるようになっているから、「見破られたくない」なんていう防御心は減っているとおもうのですが、昔はもっと無意識にあったんだなときづいたのです。
この無意識ってのがやっかいで、無意識だから変えようがないのです。
自覚して変えたい!と思うなら変える方法や努力や行動をとれるけど、無自覚だとね・・・変えようがない。
そんなわけで、昔は、好きな人に自分のいろんな面を見破られるのがこわくって、虚勢をはってこじらせていたな~~と思うのです。
人には隠し事とか言いたくないこととかあるから、全部をさらけ出す必要はないけれど、隠しまくっていてもその人となりがわかりにくい。魅力が出にくい。
そんな状態で好きになられても、「私のなにをしってるの?」なんて思うだろうし、おもってきたし。
そんなんだったんだな~~~~~と朝、ウォーキングをしていて思ったのでした。
人間、だれしも面倒で癖がある部分があるからさ、そうおもって人付き合いしてると、なんかいろいろと楽になれる気もする。
こっちの面倒とあっちの面倒がうまく噛み合うかあわないかってのもあるだろうけど。
たとえば、つぶやきのようなメッセージを送ってくる女の知人は面倒!!!だから、既読スルー万々歳!と思う私。
それが私の面倒なポイントだと思う。
こういうドライさや気が向いたときは、どんなメッセージでも返しちゃう♪というきまぐれさにはまってくれる人ははまってくれる。
でも、かまってちゃんには無理。「私、きらわれてる?」ときっと思うのでしょう。
そんな感じ!!!
理解されなくてもいいこと
理解されなくてもいいことだったんだ!
と確信したことがあります。
「好きなタイプってどんな人?」
という質問に対して、正直にこたえると「わからん。直感」だと前にも書きましたが、「直感」なのです。
直感というざっくりとしたところから半歩だけ踏み込んだ答えは、「雰囲気」なのです。
イケメンが好きだというレッテルをはられたことが何度もありますが、イケメンといるのは好きです。
だけど、顔の作りとかそういうんじゃなくて、雰囲気で好きになります。
だから、20代前半にとっても好きだった年上の方のことを好きだと友人たちにいっても~「え~~??なにがいいん?」と何度も言われたものです。
仕舞いには相手に「俺のどこが好きなん?」なんて聞かれたこともあって、そのとき、正直に「え・・・わからん」だった。笑
それくらい、目に見えるもので選んでなかったのです。
ここ最近、目に見えないもの(空気感、雰囲気、オーラ)があると確信をするようになってきて、自分に合う合わないっていうのもあるから、好きになった理由や好きになったこと自体を理解してもらえなくて当然だったんだと確信したのです。
ちなみに、誰とでも気を合わせようとおもったら合わせられるとおもうけど、だれとでも馬は合わないと思う今日このごろ。
悩みの時間
さっきの続きになるのだけど、「選択」をするとき、少しそれが身のたけに合わないと感じるとき(つまり、少し勇気のいる決断をするとき)、やっぱり「悩む」ものです。
そういうときだけじゃなくて、恋愛に関しても、仕事に関しても、人間関係に関しても「悩み」ってあるものです。
が・・・
「あ~~~~どうしよ~~~」と言ったり「どっちがいいんだろう」「あ~~~、困ったな~~~」なんて思ったりする時間が長いほど、無駄だなと。
「別れたいけど・・・」
「変な男とわかっているけど・・・」
「でも、本当に別れていいのかな・・・」
とか迷う時。
こういう迷いって、意外とエンドレスになりやすいな~と思う。
今回、「あ~~~どうしよう」
なんて、ず~~っとうだうだしていたのだけど・・・笑
ふと、「あ、ムダや」
と思うわけです。
こういうとき、「決断する日」を決める
そして、「決断ができる判断材料をあつめる」という行動をしていったほうが合理的で前に進む。
結局、決めて責任をとるのは自分。
だれかが決めてくれたとしても、その決定に自分が賛同したのなら、自己責任
だからこそ、時間があるのなら、決断のための準備を最大限するという行動をしたほうがいい。
A案とB案があったとしたら、両方のプレゼン資料をつくってみるくらいの。
恋愛で言えば
「A:別れた時の未来」「B:別れなかった時の未来」
というように。
「A:結婚をした未来」「B:結婚をしない未来」
というように。
そんなわけで、無駄な悩み方よりも、「考える時間」や「行動する時間」を増やしたいものです!!!
経験から得るもの
25歳に得たチャンス
それに似たチャンスを何度かいただいているけど、25歳の時のようにチャレンジができない。
その理由で自覚としてるのは
①ひとりだから勢いがつかない
②またダメにしてしまうかもしれない
の2つ
そして、なんとなしに「今じゃない」という感覚もあるのかもしれないな~とも思ってる。
ただ、今回は、「暇だし、仕事増やすかな~」と受けているアルバイトがことごとく落ちる落ちる!(っていっても、2社かな?こんなゆるい気持ちなのがバレて、真剣な採用担当者からしたら「ええかげんなやつ」と写っているきもしてる・・・)
という状況なので、「このチャンス、流れに乗っちゃう?」でも、先立つものが・・・と尻込み。
春ぐらいにチャンスがくるから準備しとけ!とあるタロット占いをしてくれた人にいわれたのだけど、、、、
「準備してないよ~!」と今更ながらにアタフタ!!それがこのことなのか、私のこじつけなのかはさておき、とにかく、アタフタ。
ただ、前回のチャンスを掴まなかったときとは違って、少しだけ自分の目指すものがみていること。そして、そのために準備はいまからでもやってみたらいいんじゃないかと思える心。(が、「いや・・・でも・・・」となる心もある)
で、25歳のチャンスのときの失敗があるからこそ、冷静に「やるかやらないかはさておき、事業計画を綿密につくってみるのはいいかもしれない」と思えること。
前はやってなかったんかい!ということですが・・・
「はい!!!勢いとノリで生きていたもので!」と。
なぜ、こんなにも安定志向になったのかしら。
そもそも安定志向だったのかしら。
(心配性ではるから、根っからの冒険家ではないし、リスクヘッジはなるべくして生きてきたから・・・冒険心が勝つときは、いろんなことをかんがえて身動きとれなくなった自分をやめたくなったときだな)
そんなわけで、失敗という経験をしていて、よかったなと思うのです。
次は、長く続けられるようにやりたいものね。
昔は、「私は移り気がはげしいから、この仕事をずっとやってるかわからない」と思ってやっていたものね。
今は、「手段は変わっても、目指すものはかわらない」という自分への信頼と確信がありますので、少し強くなれたきがする^^
男の愛情
60代の人生の先輩と5時間半の真剣トークをしてきました。
政治・経済・宗教・恋愛・結婚・子育て・芸能・SNSなどの話をたんまりとしてきたのですが、その中で、その女性がおっしゃっていたある言葉が頭の中でず~~っと木霊しています。
「男の愛情は深い」
という言葉。
前後の話の流れは忘れてしまったのですが、「男の愛情は深いから」と旦那様と長年連れ添って生きてこられたリアルな声は、なんだか心に響くものがありました。
そうそう、昭和の日本的な話ではあるけれど、「男性と女性の役割は違う」という話をしていたのです。
男性はひとつのことを一直線に
女性はピーチクパーチクといろいろと話、気がつく
もちろんそうじゃない女性も男性もいるけれど、男性の愛は一直線で深いものだとおっしゃっていました。
ここから私がおもったことだけど、
その深い愛情をうけいれられるだけの余裕が自分にあるだろうか?と。
その愛情をうけいれる覚悟があるだろうか?と。
そもそも、人によって愛情の深さや表現が違うから、なんともいえないけれどね~~。
ともかく、最近よくよく思うことは、
父の愛と母の愛って違っていて面白いな~と親をみて思うことです。
愛情って伝わらない時もあるし、愛情と捉えてもらえない時もある。
素直じゃないと喜べないし、不器用だと伝わってないし、そもそもそれ欲しい愛情じゃないから!というのも起きる。
人間って、おもしろいな~~~~~!!!!!
と、一大決心をしないといけないんだけど、少し逃げ腰なもので、こういうブログをかいて気を紛らわせている私・・・。
自営業か会社員か
正社員として会社勤めをしていたこともありましたが、昔は、「会社員≪自営業」だと思っておりました。
ですが、どっちでもいいよね~とあるときから心境の変化。
どっちも利点欠点があるのです。
しかもそれは人によって違う。
会社員をしていた頃に学んだことってたくさんあります。
会社員をしていることで知らず知らずに学ばせていただいていたことを、自分でセミナー代(高額!!!)をだして学びにいっている知人をみていると、なんだか複雑な気分にも。
会社員だったり雇われだと学んだことをすぐに実践する場があります。
自営業とりわけ個人事業主だと、人によっては、実践するための人集めからしないといけない人もいます。
どっちのほうが、成長がはやいか?とな~んてことも考えたりします。
ただ、すべての会社が研修や実践の場に恵まれているわけでもないので、「勤めるのがいい!!!」ってことでもないのです。
どう生きたいのか?
そのためのライフプランは?
そのためには、いろんな働き方や生き方をしっているといいよね。
な~んて思う今日このごろ。
あ、私?私は、個人事業主タイプの人間です。が、短期間雇われて責任を全うするのは嫌いではありません^^ので、ただいま雇われ真っ最中です!!!