たった一つの正解を求めていないだろうか
半年くらい前に、自分を振り返ったり、友人・知人と話していて、ふっと思ったこと
「たった一つの正解を求めているんじゃないかな」
ということ。
学生時代の試験では、正解は一つだった。
けれど、社会にでると、正解は無数にあって、戸惑ったきがする。
社会になれてきて、「たった一つの正解」はないということがわかっていても、どこかで習慣的に、「たった一つの正解」を探すくせがあるように思う。
例えば、「幸せとはこういうもの」ということだったり、この彼氏でいいんだろうか?ということを悩んでみたりとかそういうのも、どこかで「正解」をさがしてしまっているんだろうな。
みんなと一緒、これって常識でしょ、旦那ってこういうもんでしょ、彼氏ってこういうもんだよね、女とは、男とは、、、そういうものも、正解なんて無数だし、国が変われば変わるし、時代が変われば変わる。
実は曖昧で、自分の中で腑に落ちたものが自分にとって正解なのだけど、自分というものをおきざりにして、「正解」を探そうとしていて何がなんだかわからず、モヤモヤすることが多いのかもしれない。
こうするのが絶対!とかね。
フェイスブックの使い方はこれが正解!とかさ。
なにかにつまずいたとき、どこかで、正解がないのに正解を求めていないだろうか?たった一つの絶対的な正解を探しすぎていないだろうか?と、己を省みるといいのじゃ~ないかな^^