誰と過ごすか
先日、予定と予定の間に空き時間ができたため、カフェで勉強をしようとおもっていたのですが、ふと「あ、あの友人とお茶できるかも」と思い、なにげなく連絡。
そしたら、「え!今、隣の駅!!」な~んてことになり、あれよあれよと会うことに。
話した内容なんて、本当にどうでもよくて、好きなドラマの話とかそんなんばっか。笑。
一方、ある人に「○○いったのですが、駅から近かったですよ!」と情報をお伝えしたら、「また会って話したいな」と連絡が。
それにたいして「会いましょう!」とならない自分がいるのです。
というのも、よく会っていた時、悩みや愚痴なんかをよく言っていた人で、もう終わった話まで根に持ってグタグダと話してる感じだったので、「一緒にいて楽しい人」というイメージが自分の中にはないのです。
となると、会って話したいといわれても、「あ~、なんか面倒だ」となるわけ。
つねにポジティブでいれる人なんていないし、常にポジティブでいろよ!とは思わないけど、「見せる自分」はコントロールしといたほうがいいんだろうな~と思う。
ついつい「悩み」や「愚痴」を聞いてくれそうという私が放っている雰囲気もダメだし、ついつい聞いちゃう私がいるのも事実。
だからこそ、「会って話したい」が恐怖でしかない!
まぁ、昔、「お茶しよう!」といわれていろんな人とお茶してたとき、たいていネットワークビジネスの話だったりしたもんだから、「トラウマ」になっているのかなとおもったり。
で、こんなことを考えている今日このごろなのですが、「陰気」ってものについてふと思うことがあったのです。
ポジティブがいい!とかネガティブがだめ!なんていう安直な判断はしないでおきたいんだけど、だけど、あえて「陰気とは?」ってきかれたら「ネガティブな気分」って言ておきます。
怒り・悲しみ・愚痴・妬みで自分を覆っているような人がたまにいます。
口から出ることといえば、怒りや悲しみや愚痴ばっかりみたいな感じの人もいます。
ストレスがたまると人ってそうなっていくし、人と関わっていけば、「分かり合えない部分」もあるからそれが大きくなれば、「怒り」や「悲しみ」になっていって、「あの人は仕事ができない」な~んていうような愚痴のようなものがでてきたりするのでしょう。
で、私もよくやっていたのですが、「愚痴」で共感しあえてつながれるときってあるのです。
上司の悪口で盛り上がっているだけの関係の同僚がいたとして、その会社をやめたり上司がいなくなったりしたら、その同僚とはなんか馬があわなくなったなんてこと経験したことある人まぁまぁいるんじゃないかなと思います。
こうのを「陰気」な関係だな~とおもうわけです。
愚痴ばっかりな人には近づきたくないと思っていたとしても、自分がすこし「陰気」になっていると、そう言う人と同調しやすくなる。そして、それが心地よい関係にすらなっていくのです。
だから、自分の心地よい人と過ごしましょう!なんて安直には言えないんだけど、ふと自分が今仲良くしている人がどんな言葉をたくさん発しているかを気にかけてみると、「げ!!!私、陰気によりすぎてる」な~んて気づくけるんじゃないかな。
それが、人は鏡ってことなんだろうな~と思うのです。
で、自分が「陰気」ではなくても、「陰気」な環境に身をおいて、そこに順応しようとしていくことで、「陰気」にひっぱられて、気がついたら「愚痴ばっかりいってる~」なんてことにもなりかねませんの。
自分を変えたいと思ったら、
自分が発する言葉や、どんな環境にいるかをまずみて、どうしていくか?が大切^^
ちなみに、発する言葉だけじゃなくて、頭の中で浮かぶ言葉や、心の中でつぶやいているような言葉も含めてチェックしていくと、自分を冷静にみれたりする~~~。