映像と舞台
森田剛くん主演の「すべての四月のために」を観てきました。
テレビでみたことのある芸能人の舞台を感激するのははじめて(だったはず)。
その感想はさておき、自分の中で腑に落ちたきがすることを書き留めておこうと思います。
なにかのインタビューだかなにかで、剛くん(たぶん)が、「映像は監督のもの。舞台は役者のもの」というようなことを言っておりました。(これ、たぶん、剛くん。たぶん、、、たぶん・・・・)
そのときは、「へ~~~。そうなんや」と思っていたのですが、腑に落ちず。
今回、舞台をみたことで、「なるほど~~~~」と思ったのです。もちろん、剛くん(たぶん)と同じ感覚で理解しているわけではないのですが、私なりに、双方の面白さをしれたのです。
舞台って、いろんな人が同じ板の上にいて、違う動きをしてる。
その場面の主役が何かを話していたりしても、同じ場面にいる共演者たちは別の動きをしていたり、ふざけていたり。ず~~~っと全体をみわたせる面白さがあるのです。
映像って、もちろん舞台と同じように、その場面の主役じゃない人の動向を見ることができるシーンってあるけれど、意図してカメラのアングルをかえて魅せにきてる演出でできてる。
カメラを寄せたり引いたり。
泣いてるシーンだったら、顔をアップにしたりして。
監督がこれをみてくれ!というものを視聴者にみせているのが映像なんだろうな。
舞台は、カメラがなくてよれないから、監督のこれをみてくれ!というピンポイントの意図がなくて、演者と観客に委ねてくれているんじゃないかと感じたのです。
そんなわけで、うまく言葉にできないけれど、「映像は監督のもの。舞台は役者のもの」という感覚がなんとなく知れた観劇でありました~!!!
もういっかい見に行くので、それぞれの役者さんの面白さは、そのときにでも。
そして、すべてが終わったら、いろいろと書きたいな~とおってます。