類は友を呼ぶ
類は友を呼ぶ
そんな言葉があるけれど、そのとおりだな~って2015年は体感。
“知っている”のと”わかっている”のと”腑に落ちている”は違うなって思う。
2015年の体感までは、“知っている””わかっている”レベルだったんだなって思うんよね。
類は友を呼ぶは、謂わば、”引き寄せの法則”的なものや”波動の法則”のようなもの。。。気が合うというのはよくできた言葉で、“気”が合うから、共鳴し一緒にいることができる。だから、“気”が変われば、共鳴できず、離れるのです。それが一時のものか永遠のものかは、さておき。
さっきから、”気”という言葉を使っているけれど、人によったらそれは”波動””波長””オーラ””エネルギー”という言葉のほうがわかりやすいかもしれません。
あ、怪しい話になってきたと思うかしら?
でもねでもね、よく考えて!「どういう人が好き?」という話になったときに、「気が合う人」「波長が合う人」っていう回答をする人がいたりさ、「あの人とは気が合わないからな~」とか「あの人とは気が合うんだよね~」とか言いません?
そういうのを思い返すと、目に見えない”気”というものを信じていない人であっても、無意識レベルでそういうものを感じているのが、日本人なんじゃないかなと私はおもうのです。
そして、その”気”というものは、気分が落ちる、気分が上がる、気がある、気持ち、気力、気楽、元気、勇気、病気などというふうに、私たちの生活にものすご~く根付いてる。
”気”が共鳴し、類は友を呼ぶ。
カラダが疲れ、気力で頑張るも、そのが気力すら落ちる。それは、自分の”気”を落とす。そういう状態になっていた2015年の私は、普段だったから、出会っても選ばない選択をしてしまったのです。
だから、随分と気力が戻ってきた時に、その選択した男と一緒にいることが、「面白くない」いや、むしろ、「苦痛」で、声すら聞きたくなくなった。笑
元々”気があわない”というのは、現実的な例をあげると、大切にしているものが違うということもあります。
だから、落ちた”気”が上がってくると、そもそもの”大切にしているものステージ”が違うから、一緒にいれない。というか衝突する。いや、衝突した。
ある県へ出張にいったときにそれは顕著になりまして!
その県に行くのは初めてだったので、暇があれば一人で観光か知人・友人に会おうと思ってました!
だけど、その県に住んでいるその男が「●日、1日空いてるから、案内するよ!」な~んて言うもんだから、私はノープランで任せようと思ってなにも準備していかなかったら、「どこいきたい?」なんて聞くから、びっくり!
それは百歩譲っていいとして、それよりもなによりも、「あれ?これは変だな」と思ったのが、「あれ?この人と話したいことない!」という思いが自分の中で芽生えた瞬間でした。
少し経緯を説明すると、それまでは、1日一緒に二人でいるってなかなかなく、今まで2人でいるときも仕事の話をメインにしてました。(まぁ取引先なので)
で、その県に行って、すすめることは進めたから、観光の日は、道中ずっと仕事の話をする必要もない。そうしたら、話したいことがない!というなんとも1日がなが~く感じる・・・無駄すぎる1日となった。。。。
こんなことなら、一人でその県を回ったほうが楽しかった!!!ぜったいに!!!!(お金はほとんど出してくれたし、車だしてくれたから、そこは感謝してるけど!)
で結局、「空港いって、仕事するんで、もう空港おくってください」といってさよならしました。笑
ちなみに、この人とデキてるんじゃないかって周りでは噂されてたっていうのを別の仲間からきいて、「ぜったいに、あんな男ありえん!!!」と叫んだのは、その数ヵ月後のお話。笑
その数ヵ月後のドタバタ激も、またそのうちメモがわりに書いておこうかな!
そんなわけで、気が合うっていうのは、ものすご~く貴重で、もしも「変な人」を引き寄せたなら、それは「類は友を呼んでいる」のです。つまり、自分がその人と共鳴する何かがあるっていうことを念頭においていると、ちょっと自分を冷静にみれて面白いよ!