自分を好きになりたくて
自分のすべてが大嫌いで、生きてる価値ないって本気で思ったことが随分とあるんだけど、その時のことをちょっと思い出そうとおもって、今日はふんわりと思い出し作業をしていたわけ(脳内で)
自分の中のこうありたいっていう理想があって、、、いや、「こうあらねば!」という理想があって、ぷらすして「常識では」とか「普通は」っていう言葉で枠を勝手に作って、それにガンジガラメに自分をしていたな~って思うのです。
だから、“今”の自分がダメってなってた。
しかも、「こうあらねば」という理想は、他人からみた目線でしか考えていなかったから、永遠に自分を好きになれそうになかった。
そこには、自分という目線がなくなっていたからね。
たとえば、「こうあれば、人は羨ましがるから、満足だ!」みたいな感じね。
他人にこう思われるから、自分は○○という感情になるっていうのが私の定規となっていたみたい。
だけどね、本来の私は、他人に決められたレールは嫌だし、人と同じは嫌だし、自分発信で何かをすることのほうが好きだった。(嫌われたくないから、目立たないようにしてたけど!)
そうそう、本当は学級委員をやりたかったけど、学級委員は嫌われるかもしれないからっていって「やりたい」って手を上げなかったな~。
だけど、選ばれた学級委員のやり方に、モヤモヤしたし、私より成績のよくない人が生徒会やっていたりしたのも腑に落ちなかったりしたな~!
ただの妬みだけどね!笑
やりたいならやりゃ~いいのにね!
なんて、過去の自分にいってみる♪
そんなわけで、言い訳ばかりしていろんな選択をしてこなかったから、自分がなにをもとめているかもわからなくなるし、人に嫌われないようにといい子ちゃんをしたもんだから、内心ではドロドロした感情を溜め込んで、「素の自分だしたら、友達いなくなる」って本気でおもってた。
だけどさ、そもそも「素の自分」を出して離れていく人なんて、友達じゃないよね。
だけどね、おかげで上辺の会話、得意だよ!笑(あまりしなくなったけど)
自分で自分の信頼を失う行動をして、自分を嫌いになっていっていた私は、「この枠」をとっぱらいたい!と心から望んでいたんだろうね。
そうやって、自分を好きになろうと頑張ったけど、それもよくわからんかった。
けどね、今なら言える。
「自分を好きになりたかったら、自分が自分で誇れる体験をしなさい」と。
それは、大きなことじゃなくてもいい。馬鹿なことでもいい。
私は、大きな声ではいえないことも体験してきたから、たいていの人からの相談は笑いとばしてる。
「あはは、それはやっちまったねぇ」と。
もちろん、話はきくし、こんがらがった状態を紐解いていけるようにすることもあるけど、最終的には、「おこってしまったもんはしょうがない!」っていう感覚で笑ってるんだけどね。
感情をたくさん動かして、自分が何が好きで何が嫌かをしれば、自ずと自分というものがわかってくるから、それを知って、受け入れて、活かしていけばいいんじゃないかな。