大切な人の死に直面して「生」を考える
大切な人が、突然、亡くなりました。
なんて、ディープな入り方、好きじゃないけれど、ちょっと今日は真面目に。
お亡くなりになられたのは、私にとって、恩師といえる人です。
【少しだけ、その方との馴れ初めを説明いたします。】
私、バリ島でバリエステを学んだ際に、ボディチューニングというオリジナルのボディメンテナンス方法も習得しておりました。
その結果、オイルトリートメントよりもカラダの歪みをメンテすることにはまっていきました。
そして、いかに日常が大切かということに興味をもちだし、ウォーキングや姿勢に興味をもちました。
バリ島の学校で教えてもらった、姿勢・ウォーキング、ボディーチューニングでは、どうしても「こういう場合はどうなるん?」という疑問がたくさんでるようになり、それを解決できるモノに出会いたいと切に願っていた時にであったのが、今回亡くなられた先生でした。(普段、先生って呼んではいないのだけど)
めったに「この人にご教授いただきたい」と思わない高慢ちきな私なのだけれど、たまに「この人は!」とおもう人には、徹底的についていきたくなります。
だから、私にとって奇跡のような人でした。
その方に「何している人ですか?」と初対面でお伺いしたら、「歩いています」なんていうもんだから、”変な人”って思って、しかも私の知っている知識ではありえないことをしていたし、信じられなかった・・・
だけど、「きになる」がかって、ウォーキングレッスンを受けることにしたのです。
そうしたらね、半年ほど、毎週木曜日に1時間半ほどレッスンをしていただきましたところ、たくさん抱えていた悩みがいろいろ解消していって!
・O脚
・腰痛
・首が短い(とおもっていたこと)
・肩こり
・くびれ
・ヒップアップ
・脚の細さ
・股関節のいたみ
・階段を手すりなしでおりる恐怖心
あげると結構、すごいね・・・笑
おかげで、もともとスタイルがいいとはいわれていたけれど、スタイルをよく見せようと頑張っていた部分がなくなり、ナチュラルにいるだけで、リラックスしているのに姿勢がいいって言われるようになったのです。
見せかけの美じゃない、健康にも美にもいい方法を伝える人でした。
【大切な人の死に直面して】
実は、お亡くなりになったのがわかったのが昨晩。
今週は、めずらしく3回も会えるな~って思っていたのです。
それに、週初めには「●●っていうことをしたいんよね~」ってお話をきいておりました。
あと、先生の後継者そろそろつくらないといけないね~っていっていたら、そのうちの一人に考えてくれていたのです。
だから、これからもっとイイモノを広めるはずだった。
一般には理解されにくいけれど、本物だと私は思っていたし、知識の深さと広さは尋常ではなかった。
先生の持っているものを知りたい人はたくさんいて、それを伝えて後世にのこしてほしかったのです。
私のエゴかもしれないけれど、本気でそうおもってしまって、悔しさと悲しさとで1日ほど呆然となってました。
だけどね、冷静な自分もいて。
人は生まれながらに死に向かって生きているのだと改めて実感した。
そして、今しか確実に生きられない。
多くの人(いま病気とむきあっている人はちがうかな)は、明日がくるとどこかで安心しているのです。
だけど、保証される明日はないのです。
なんなら1秒後も。
そうなるとね、どう生きるか?ということを真剣におもうし、先生に対してもったいなさすぎる!と惜しむ気持ちは、自分への言葉にもなるなと思うのです。
たくさん経験を積んできて、やりたいこともあって、それをやれる気力も整ったのに、少し動けていない自分がいるのです。
いつなんどきどうなるかわからない。
だけど、それは刹那的ではなくて、未来もあると信じ、未来を描き、今を生きるのです。
去年12月ごろからお会いしておらず、4月に再会をし、5月9日10日と長時間一緒にいて、いろんなお話をきかせてもらいました。
本当は、もっと知りたいことあったんだよ、先生。それは私への宿題かな?
そんなことを思いつつも、最後にたくさんお会いできたこと、いただいた言葉やお話は、神様の思し召しだったのかなって思うのです。
生きるってなんでしょう?
忙しい現代社会。
当たり前のように息をして、当たり前のように仕事に行ってしているけれど、自分の「生」や「命」をじっとみて、命を輝かせていれているだろうか?と考えてみる時間をオススメいたします。
最後に・・・
先生、ありがとう。出逢えて本当に幸せでした。
ご冥福をお祈りいたします。
ここまで読んでくれてありがとうございます^^
たくさん泣いたら、すっごく疲れちゃった。
怒るのもパワーいるね
泣くのもパワーがいるね
喜ぶのもパワーがいるね
生きてる証拠だ!