10代では気がつけなかった「愛なんだ」の歌詞のすごさ
2015年にV6のことが10年ぶりくらいに気になりました。
中学生の時、J-FRIENDSやKinKi-KidsやV6がお気に入りで「キャーキャー」言ってたんだけど、V6の曲はあんまり聞いてなかったような気もしていて。(今思い返せば)
KinKiの曲の方がたくさん聞いていて、V6に関しては「剛(ごう)くん、かっこいい」と真剣に思っていたし、好きだった人がなんとなく、不良ちっくだけどわらったら可愛いみたいな人だったし、それでリンクして、ドキドキしていたような気も。
そんなわけで、「愛なんだ」もなんだかよくわからんな~愛の歌か~くらいの感覚でした。(きっときっと)
だけど、32歳になり「愛なんだ」の歌詞が、「あ~~深い」と思うのです。
特に最近お気に入りなのは、
きっとここから愛なんだ
はじめることが愛なんだ
傷つくことを恐れちゃ
だめだめだめだめだよ BABY
つらい時でも愛なんだ
できることが愛なんだ
(中略しまくり!で2番は、)
きっとここから愛なんだ
はじめることが愛なんだ
ふりむいてばかりいちゃ
だめだめだめだめだよ BABY
きっと涙も愛なんだ
ほほえみもそう愛なんだ
なのです。
昔は、歌詞もちゃんと聞かず「恋愛の歌か」とおもっていたのです。
でも、恋愛の歌じゃなくて、もっともっと大きな愛の歌でした。
なにか特別なことが愛ではなくて、今自分ができることが愛だし、つらいことすらも愛だという。なというか、この瞬間に「愛はある」というような歌詞。
そんなふうに思えないよ!と心が荒んでいるときは思ってしまいそうなほどの大きな愛の歌でした。
この歌詞を口ずさむたび、「よし、はじめよう」とおもうのです。
挑戦をして失敗をしたり恐れを感じたりすることを怖がらず、進もう!
そんな応援の歌で、シンプルなのに深いな~!とってもすごいな~~~~!!!
と思うのです。
個人的な感覚なんだけどね^^
よし!まだ見ぬいろんな誰かの為に、一歩ふみだそう!
きっと、だれしもが、今できる何かをすることが誰かのための「愛」となるのでしょう。
※10代の私よ!!しっかりと歌詞、読みなさいよ! と言いたい(^O^)
というか、思い出した!!!基本的に、剛くんと健君のラップ部分しか聞いてなかったのかもしれない。でもって、剛くんばかりみてたから、特にトニセンがカメラに映ったとき、「も~~なんでこの人たち映すのさ!」と思ってました。ごめんなさい。今はそんなこと微塵もおもいません。
呪縛からの解放
いろいろと勉強をすればするほど、なにが自分の本当の願いかがわからなくなっておりました。
尊敬していた友人の言葉が呪縛でした。
「人の役にたちたいっていうのは、自分の存在意義をしりたいから」(だったかな)
この言葉をずっと言われ続けたわけじゃないけれど、勉強をしはじめた頃に言われたし、よくその友達が発していた言葉だったから、私は勝手に自分でその言葉で自分自身を縛っていたよう。
ここ数年、「本当にそうなのか?」「人の役にたちたいってすごく大事やな」と思うようになったので、20代中盤から築いてきた価値観がどどどど~んとぐらついておりました。
だから、なにが本当でなにが本当じゃないのか?なんてことをグルグルとしていたので、多くの人の話を相談を乗るということは避けておりました。
ですが、「もういいや!」となぜかふっきれ、「人の役に立つことをする」ということをするるる~~んとやりたくなったのです。
自己啓発とか心理学って勉強すればするほど、わけわからなくなっちゃった。
お酒は飲んでも飲まれるな!と言われるように、何事も活かし用です。
囚われちゃ~なんのためのなんなのかわかりません。
人の役にたちたいっていうのも、無意識に自己犠牲をして他人につくして苦しくなっているのはやりすぎってなだけで、人の役にたちたいは大事なんだな~と今の私は捉えてる。
最近思うのです。
心理学もだれかが作った学問なだけで、それが「絶対なる真理」なわけではないんだろうなと。
何事もいろんな物事の捉え方ができるってだけわかっていたいな~と思う今日このごろ。
なにかの枠に当てはめるのが苦手だから、心理学って枠にハマる自分も嫌になったんだろうな~と思ってみたり^^
ただ、「定説」ってものを知っているから、自分の立ち位置が決めれたりする。
他人がいるから自分ってものが浮き彫りになる。
って話がなんだか締りがなくなってきたんだけれど、最近はそんなことをず~~っとおもったりしております^^
鎧をぬぐこと
所謂、視える人という方にたまに出会うのですが、初対面で視えるからといってアドバイスしてくるような人とかは信用しないし、聞いてないのに人にアドバイスするって何様!?と思うので、信用しません。
前の仕事柄、パッとみると「あ~肩こりつらそう」とかわかるし、「そういうカラダの使い方してたらしんどいよね」っていうのもわかるんだけど、聞かれない限り友達にも言わない。
そういう信念をもってやっているから、聞いてもないのに言われるのはちょっと嫌い。
でも、悪霊っていうものがあるとして、それにとりつかれているとかなら教えていただきたいものですが!
そんなこんなで前置きが長くなったのですが、私のことを少し知っていたり私から聞いて教えてくれる視える人に言われたのが、「鎧きすぎやろ!」ということ。
高みの見物してるんじゃ~ないよ!と。
あなたのことを理解してくれる人は必ずいるから、鎧脱ぎなさいよ!と。
ってことで、鎧を少し脱いでみようかとおもうけど・・・
着てること当たり前過ぎて、着てるかすらわからんかもしれん。
と思った昨夜でした。
パートナー・パートナー・パートナー
手相でも、「パートナー的な感じですね」
ある先生にも「結婚に興味ないでしょ?ん~パートナー的な感じね」
ある女性にも「パートナーだね」
といわれる日々。
そして全員にいわれるのが、「あなたのことが理解できて、一緒に成長出来る人」なのです。
まさにそれ!と思うんだけど、みんな違うんだろうか~~とずっと疑問。
私の世界観を理解できる人がいいそうです。
自分の世界観が当たり前過ぎて、そしてそれが当たり前だとおもっているので、なんともどう表現したらいいのかわかりませんが、そういう人をずっとず~~っと小学生の頃から求めていたのかもしれないな~とふと思うのでする。
ってことで、人になんとおもわれようが、思うことは言葉を選びつつ発信したほうがいいんだな!うむ。
独り言でした。
いずれは出家と言われた衝撃な日
今月のはじめ辺りに、「あなたはいずれは出家ですからね」と言われました。
だれに言われたかというと、お世話になっている手相のお兄さん。
半年ぶりくらいに、「あ、手相いこ」ってふいに思いたち、仕事終わりにぷら~~~って言ってみました。
平日なのに並んでいて、やっと私の番になったとおもったらお兄さんに、「あれ?今日はどうしたんですか?突然!」と言われる始末。
いやいやいや~!私、いつもながらお客よ!お客!とつっこみをいれようか迷ったものの、「ふと、ひらめきまして」とだけ答えておいたのです。
で、「なに見て欲しいですか?」といわれたので、「あ~、特にないんですけど・・・現状を知りたい」と伝えたら、「では、恋愛・結婚からみていきますね」と。
これに関して、何言われたか忘れたけれど、なんか言われました。
「好きな人いないの?」みたいなことをいわれ、「いませんね~」「まぁそうでしょうね~。あなた好きな人できたらすぐやものね」というような会話をしたような!
ってことで、メモをとっておいたので、メモをみて話していきます。
え~っと、
と!!!!
いずれは出家って!!!こんな流れで言われました。
で、手相にいって、出家するっていわれたのが衝撃的すぎて(おもしろくって)、出家ってどういう出家なのか聞きそびれちゃったのと、「出家線」みたいなのがあるの~?とおもったので、調べてみたけど、みつけられなかった。。。
いずれは出家。(あ~響きがおもろい)
80歳くらいになったら出家してもいいかな~♪笑
私にとって恋愛・結婚ってなんだろう
なにごとも正解ってないと思うのです。
同じ言葉を使っていても、同じイメージをもって話せているかは別問題。
女子トークで、「結婚したいよね」「うんうん!した~い」なんて会話が繰り広げられているとして(私、そのような会話をしたことがないので勝手なイメージね!)その時、「結婚したい」というのは共通で共感できたとしても、一歩掘り下げると、ひとりひとりの結婚の定義やイメージって違うことが多いんじゃないかな~と思います。
で、う~んと昔にも「私にとって、恋愛・結婚ってなんだろう」って考えたことがあるのだけど、その時はどう思っていたのか忘れた・・・笑
もしかしたら、「面倒くさいもの」だったのかな~と思う。
なんで面倒かというと、制限がはいるイメージだったのかもしれないな~と。
他人には私の感覚はわからないもんだから、わかってくれない人と関わるより、一人でいたほうが楽っていうかんじ。
けど、わからないのは当たり前で、自分がどんな人か言わないと相手はわからないよね~。
昔は、すっごく自分が嫌いだったから、いい人を繕って生きていたので、「本当の自分」「仮面をはがした自分」を知られるのが怖かったのかな~と思います。
それと、そもそも自分が嫌いだから、いい人ぶっていると、どれが本当の自分でどれが作った自分かもわからないから、自分をうまく表現できていなかったのかもしれません。
だから、「これが好き」「これはいや」なんていう自分の感覚がわからなくって、相手に自分の価値観を伝えるということがとってもできなかったんだろうな~~としみじみ思います。
で、現在に話をもどしてみますと、「果たして、私にとって恋愛・結婚ってなんだろう」というと、「こだわりがないもの」なんだな~と思います。
わけて考えると、恋愛は、究極の人間関係で、結婚は、ただの形なのです。冷めてる・・・笑
ってなわけで、パートナーってのが私の中でしっくりくるんだろうな~と。
一緒に歩んで対話して理解して一緒に成長しあえる人がいいのです。
そのためにも、自己表現ってのがやっぱり必要だな~~~~と昨日、「自分の課題」ってものをしれた一日でございました。
そうなると、自分が好きなこととか大切にしたいこととかしっかりと自分で認識していっておきたいな~~~と思います。
世間帯を気にせずにね^^
ちゃんちゃん
「チャラさか真面目さか」という話題について
先日、6歳ほど年の離れた男性に「チャラい人か真面目な人どっちがいい?」とアラサー女子たちは聞かれたのです。
友人が「真面目なのは面白くないだろうしな~~」と言っている中、私は頭の中で、「う~~~ん。」と唸っていたのでした。
そもそも、チャラすぎたらアウトだし、真面目すぎてもアウト。
いつも思うけど、馬鹿になれる人がかっこいいと思うのです。
だから、大泉洋さん好きなんだろうな~とおもう。
チャラいなんて言語道断。
真面目一徹だなんて言語道断。
両方共一緒にいれない。
チャラいのは男友達で十分。
真面目なのは職場の人で十分。
そんな気がしてきました。
あ、けど真面目ってどう真面目かにもよるし、チャラいってのもどうチャラいかにもよります。
私のかつての男友達は、チャラい。でも彼女できたらまっすぐ!!
そういうのは、ある程度は好感が私はもてます。(が、性格とか価値観とかが合わないと付き合うにはいたらないけど・・・。お互いそんなもんでしょう)
と、お酒の入った席で真面目くさって話すのもどうかと思って、他人の話にのっかておいたのでした。
っていうか、質問自体が若いのよ~~!!眩しい★