顔色を伺うということ
顔色をうかがうってなんだろう?
そんな疑問から、いろいろと考え、いきついたことが。
そもそも、昨日かいた「空気を読む」ということと合わせて、知人が、「顔色を伺うと空気を読むの違いってなにかな?」という連絡がきたことが発端。
なにかわかったら教えて~と言われてから、ちらっと私の思うところを伝えたのに、ここに書く事は、「ま~、いっか」とおもって伝えてなかったりするwwそういう人間です。
そして、10年来の友達に、この話をしたりして、いろいろと深掘りをしていったのが今から伝えるお話。
自分がわすれないために書くっていう意味がつよいかも^^
顔色をうかがうとはどういうことだろう?
とまず、考えたときに、「相手の表情などから心の動きをよもうとすること」とおもったわけ。
そして、
それをされたときの自分。それをした時の自分を思い返すと・・・
■されたときの気分
「え?ウザイ」「面倒」なのです。
たとえば・・・
明らかに相手が、オドオドとした雰囲気を発していたり、目がオドオドしていたり、必要以上に様子を伺う雰囲気をかもしだしていたり
結構、気分悪いです。居心地がわるいというか・・・
(そうさせているのも私なんだろうけど!えへ)
■していた頃の気分
嫌われないように
相手の気分を害さないように
と、ちょっとした顔色・表情の変化を読み取ることをしていました。
結局、自分が嫌われたくない&怒られたくないが強かったんだけどね~
ってなことを振り返ってみると
結局のところ、”されて嫌”なときは、「そんな様子ちらちら伺うみたいなんして、私のこと信頼していないんか?」と思う
”していた”ときは、自分に自信がないから、相手に合わせていたというのが根底にあったのです。
もちろん、顔色をみて、相手が嫌そうだなとか不快そうだなと思えば、原因となる発言や行動を変えていくことも必要な問もある。
だけど、その根底にあるのが、「自分が自分を信頼しているのか」があるかないかで大きく対人関係のみならず、自分自身の人生も変わっていく。
友達の子供が、顔色をうかがってるわ~といっていたけれど、それはどの程度でどういう状態なのかがわからないので一概にはいえない。
けど、ビクビクしたりオドオドしたりして顔色を伺う習慣があったり、他人からそれをされるときは、「自分が自分を信じているか?信頼しているか?」を振り返ってみるといいね。
なんで他人にされてる場合も自分を振り返るかというと、「他人も自分」だから。
他人は自分の鏡。
そこには、自分がきがつきにくいいろんな人生を拓くサインがあるのです。
自分を信頼していない人を信頼しようと思える人もすくないよね。でっかい心で信頼して持ち上げて言ってくれる人もいるけれど^^
そういう人をまつよりも、自分で自分をかえていく”行動”をすればいい^^