普通にいくか
普通がなにかという定義はおいておいて、「普通に生きてくのもありか」と少し想像を巡らせてみました。
多くの人がやってそうなイメージの
週5働き、結婚し、子供を産み、子育てをしながらパートにでるor専業主婦みたいな生活をする自分を想像してみたのです。(できるかとかはさておいて。想像するのはタダだから)
すべてできるとしたら、できなくはない。
でも、「んーー飽きるな 満足感ないな」となりました。
昔から、一生働きたいと思ってた。
やりがいもって生きたいと思ってた。
そうだそうだ、私はそんな学生だった。
変化が怖くて怖くて苦手な自分と、変化が楽しくて楽しくてしかたがない自分の両方を持ってる。
一生もんのものを得るために海外にまで勉強しにいったのでした。
頭で考えるより、自分の奥深くで「もう、わかってるでしょ。」と言われている気がします。
もう、わかってる。わかってるけど、言語化できないのです。なんなら、やはり怖いのです。
それでも、やらざるを得ないきっと。そんな感覚との葛藤をさけるため、ひたすらアニメやらDVDやらに逃げてたな。
自分と対話することやめちゃってたなー。
自分との対話って大変だからなー
うわっつらの楽しいことに時間を使ってる方が、楽に笑えちゃう。楽に時間を過ごせちゃう。
けどまぁ、自分と向き合うことばかりやってた自分じゃやらないようなことに時間とお金を使ったことで、いろんな価値観を見れた気がします。
自己啓発的なことに没頭していたときは、向上心のある人たちが周りに多かったし、テレビなどから提供されるエンタメに関心なかった。自分達で作り出す楽しさに夢中だったし。
与えられることをなにも考えずに受けとるって楽。
楽しいし、生きるパワーにもなるし、気分転換にもなる。
だけど、提供する側や作りだす側や背中を押す側になる充実感は一生の中でやりつづけたいのかもしれないな。
型破りな生き方をしたくてしたくていた20代とは熱量の出し方や出る色は変わってもいいのかもしれないな。
うむ。
ぶつぶつとひとりごとでした。
幸せになれた人
「なんで、この人と結婚しなかったんですか?幸せになれたのに」と言われた4年ほど前。
その時点で、「えーーいやいや、6年前の恋愛のことをいわれてもーー!」と思い、あとから、ふっ切れた想いがよみがえり、「幸せになれた人だなんて、知りたくなかった」 とすら思った日々がありました。
でも、今になって思うのは、あの発言は、優しさだったということ。私の思い違いかも知れないけど、優しさだったなと思うのです。
「幸せになれたのに」発言と共に、「まぁ、でもさその経験があるから次にいかせますからね」ともいってくださっていて、それを今身にしみてわかる気がします。
「幸せになれたのに」発言のあと、ずーっと、なんでダメやったのか?次はどうしたらいいのか?をふとしたときに何度も考えてました。たぶんこのblogでも書いてたはず。
「次の恋愛はうまくいきますよ」とアドバイスを先日もらえたのは、ここ4年で自分の在り方が変わったからかなと。
相手を知る努力をすること
相手に自分を知ってもらう努力をすること
二人の関係を作っていくこと
20代までの私はそういう点がごっそりとぬけてて、相手をみているようでいつも自分を見て、そんな自分に振り回されていたんだろうなとおもうのです。
ここ4年の間で、もう彼を越える人はいないとすら思った時期もあったけど、ほんとにほんとに過去にできてるなとおもったりもしました。
過去の自分の日記を読んで、切なくて泣けはするけれど、恋しいとかはなくなった!
次の恋、楽しみだなー!
恋愛のあれやこれや
少し、恋愛する気になってきたのです。
半年ぶりくらいにお世話になっている先生のもとへいって恋愛について聞いてみました
出会いと出会ってからの話なんかをおもにしてたのですが、
・出会ったけど逃す人
・出会う努力をしない人
・見つけてもらう努力をしない人
がメインだったかな。
30歳こえてるのに、10代や20代のままの人とかもいってたかな。
恋愛は感情むき出しのものなんだから、捻挫するくらい当然よーなんてスパッといっちゃう先生が好きだななんて思ったのでした。
男性がこの女のためなら変わりたいと思う女にならなきゃね。
今が完璧ですべて受け入れてなんて傲慢よね。
なんてこともいってたかなー。
ちなみに、私くごとですが、「次はいい恋愛できるよ」とお墨付きをいただきましたーー!
やたーやたー!
この人、運命の人!と思って出会えても、行動や発言なんかでその人を手放しちゃうこともあるし、運命の人だから簡単に手に入るなんてことはないと思われます。
20代の私が逃した人は、逃した原因は私の在り方に問題ありだったからだもんね。
成長しよう。
一人でいても二人でいても楽しめる強く優しい女で居続けるように成長しよう。
と
漏れた本音
ある男性が、奥様に「お茶とって」や「しょうゆとって」と言ったらうざがられたそう。
40歳超えて最近結婚された方。
その男性に対して、「長年、自分でできてたことを結婚したら奥さんにやらせるってなにごと!?」と言ってしまった。
その男性いわく、結婚したらやってくれるもんやと思ってたらしい。
まぁ、やってくれる女性もいるはず。
でも、私はそれを常に求められることは求めてないなーと。
所謂、結婚に興味がないでしょ?と言い当てられた数年前だけど、まさにそうだなと思える一因だなと仕事中に思ったのでした(* ̄ー ̄)
できることは自分でやって、お互いがサポートしあうのがいいな!うんうん、
いつもと違うアクションを
いまに満足していないなら、なにか変える必要がある
いまの自分に満足していないなら、なにか変える必要がある
そんなことを昔は強く思っていた気がします。
自分にとにかく満足していなくて、欠乏感を常に持っていた気がする。
ここ数年は欠乏感をもっている意識はなくだったけど、いまが理想か?と聞かれると「ノーーー」となるわけで、そんなことを考えていたときに、しいたけ占いで、タイミングが合わなかったですませばいいから、自分のやりたいことなどを発信することが大切と書いてありました。
ってなわけで、いつもは用件だけのメールですましちゃう相手に「また会ったときにでも近況とかきかせてね」って伝えてみたら、なんだか会えそうな流れにー!
いま、人にあって、いろんなことを吸収したいから、あって話きけたらいいなー!
いつもと違う行動をすることで、意外と「あえるんだ」ってなるなーと発見した。
心がもとめるものを
おひさしぶりです。
特に、心の叫びもなく。仕事場でのあれやこれやの面白い話もあるのですが、文字にする気がおきずでした。
ここ最近、「自分の心が死んでるんじゃないか」と思うことが多く、「こりゃ~ダメだな。惰性で生きてる!!!」と気づいたわけです。
漫画読んだり、おっさんずラブにはまったり、今月からの怒涛の舞台&コンサートにワクワクしたりしてる人生を本当に望んでるのか?と自問自答してみたわけです。
こんな言い方がきらいな人もいるかもしれないけれど、「魂がそれで喜ぶのか?」「本当に魂が喜ぶことに私はむかっているのか?」と思いまして。
24歳の頃、「私の人生、このままでいいのか?」と思って自分と向き合ったことがありました。
その時と同じように、「私の人生、このままでいいのか?」というか、「私、このままでいいのか?」と真剣に思いました。
思い起こせば、小学生のころから大学生までは、「こんな私はいやだ!!」と常に自分と戦っていた気がします。
あるときから「もって生まれた自分で生きる」ということをするようになっていたので、変な自分との戦いはしなくなったものの、変な安心感で最近は生きていたように思います。
まぁここ数年、自分で処理できないいろんなことがあって、人間関係をいったんストップさせてたことを思うと、「今の自分では満足しない!」という欲求や焦燥感のようなものがでてきたのは、個人的には喜ばしいこと!
ってことで、しいたけ占いの下半期を一足早くよんでみたら・・・・
「うわ~~~~~、なんじゃこりゃ、あたってるやないか~い!」となりまして。
本当に自分がやりたいことをやる!
この想いをもつことは、流れ的にあっていたのだなと。
そのためのこの半年だったのかと妙に腑に落ちたのでした。
とはいえ、この半年のすべてが満足できるものかといわれると、「もっとできたんやないか!?」と思うこと多くなのです。
24歳の時、ブッ倒れそうなほど(実際に、ぶっ倒れるように玄関で寝たこともある)働いたあと、布団の中で「どういう人生にしたいか?」と考えながら寝ていたら、ある日「これだ~~~!!!」とひらめいたのでした。
そのときのように、もうしばらく自問自答をし、直感ででてきたことを行動にうつしていきたいとおもうのであります!!
実は、恋愛面でも、心から望むものって大事だと思っていて、その理由は一番好きだった人とのことなのですが、20代前半までの私は「女は40歳まで!太く短くいきる!」と本気で思っていました。40歳からはもうだめだとおもっていたのです。(今の私は、そんなことはおもわないのだけど、なんでかおもっていたのです)
あと、40歳になったら田舎暮らしをする~って思っていました。だから、せっせと稼ぎまくるぞ~!みたいにおもってました。
そんな20代前半で知り合った彼は、「40歳になったら田舎暮らししたい」「30歳になるまでに結婚できなかったら死ぬ」って良く言っていたのです。
その想いすご~く共感して、「あ~似てるな~」なんて思っていたものです。
他人や世間にとっちゃ「へ~~(あほらし)」「それもいいね」「なんのこだわり!?」なんて想いでも自分にとっては心からの渇望みたいなものを共感しあえるって、私にとってはなんだか大切な気がするのです。
そのためには、まずは自分を知らないとね!
ってなわけです^^
話がいったりきたりしましたが、ただの日記のようなつぶやきのようなものなのでお許しくださいませ。
今日もお付き合いありがとうございました~!!!
守りすぎて失った恋愛②
守りすぎて失った恋愛について書こうとしたら怪我してPC打てなくなっていたのでや~~とかきます。
過去の自分の恋愛を振り返っていたときに、「あ~~守りすぎて失ったんだな」ときがついたのです。
私、好きになる人は基本的に、「あ~この人と一生どんなかたちでもいいからつながっておきたい」と思う人が多いような気がします。
だから、友達でいたほうがいい気がしていたり。でも、結局は、友達ですらいれなくなってる・・・遠方にいったり、結婚したりして、なかなか会えない。そんなことになるくらいなら、欲しいものはしっかりと手に入れなきゃいけない!!!という教訓になってます。
なんで友達でいたほうがいいって思ったかというと、自分の思考パターンに「恋愛はいつか終わるから、そうならないほうがいい」なんていうのがあったのかもしれないな~と。
好きになった時点で、失うこと前提って・・・冷静につっこみたくなっちゃうんだけど、真剣に思っていた気がします。(無意識の領域が強いけど)
失いたくないから、一生の友達でって思っていたはずだけど、一生の友達になれる関係性を作ってこなかったのも事実で、やっぱりどこか自分を守っていたんだな~と思うのです。
というのも、自分に自信がなくて、「私なんて」という腐った根性があったもんだから、男女問わず「本当の私を知って嫌われたくない」と思って相手のことを考えるよりも自分の保身のために、いい人でいようとしたり、相手に踏み入れれなかったり、こっちに踏み込ませないようにしたり。
それが恋愛となると、頭がこんがらがって気持ちも高ぶるもんだから、コミュニケーションがこんがらがって、変にフランクに接してしまったりして、うまくいかなかったな~と。
プライドばっかたかくて、傷つくの恐れて、空回ってバカみたいだわ、私。
ただ、一番好きだった人に「一緒にいて一番楽しかった」と言われたことは幸せの極みで、でもそれじゃ~選ばれないってのも事実で。自分を守るばっかりで、相手が恋愛や結婚になにを欲していて、私がそれを提供できる人間だよというのを日常で伝えられなかったのが敗因だな~と。あとは、年上だったから、相手を立てようとしていたけれど、そんなものは望んでなかったのも後日知って、「あ~私、相手みてなくて、一般的な男性を相手にあてはめて動いてただけで、相手との関係性構築できてなかったんやな~」なんて何年もたってから反省したものでした。
結局、自分ばかり見て相手見てない恋愛も結婚もうまくいきっこないんじゃないかしらね。
な~んて言えるほどになったので、この経験を活かせばいいわけなのですが。。。。
恋のセンサーが壊れているきがする今日このごろ。もしくは、スイッチどっかいっちゃった。。。笑
余談にはなるのですが、昨日、相当よっぱらいながら歩いていて気がついたのは、「あ~~~~最近、心ひらいているようで、閉じているんじゃないか??閉じることが当たり前になりすぎて、閉じてるって感覚すらなくなってるんじゃないか?」と。
なんでそう気づいたかというと、「この人なら私のことわかってくれるっていう人があなたにとってのいい相手」と言われたことを反芻していたら、「あれ??私のことわかってくれるって・・・私のことわかってくれるとかわかってくれない以前に、私、なにをわかってほしいの??それすらわからんやん!!あれ、心開いてるつもりだったけど・・・開いてない??心ひらくってなに?あ~れ~~」と酔っ払って全身真っ赤になった私は、もやもや~~っと思ったからでした。
まぁ、そのあとの特別悩むわけでもなく、、、何を考えていたか記憶がございませんが、お風呂入って、勉強中のことを調べて、バッタリとお布団にはいって爆睡したのだけは確実~~。。。。笑